グリーン水素実用化のための水素国家戦略の進展状況
2022年11月28日
【文:熊谷 徹】
ドイツ政府は、地球温暖化対策の一環として、水素エネルギーを重視している。同国は、2020年に公表した「水素国家戦略」を着実に実行しつつある。水素に関する研究が進んでいる日本との間で、両国が緊密に提携する動きも始まっている。
水素実用化へ向けて約3兆円を投入
おととし(2020年)の6月10日、当時のメルケル政権は、水素の利活用に向けた国家水素戦略(NWS)を閣議決定し、公表した。ドイツ政府は再生可能エネルギーの拡大と並んで、水素を経済の脱炭素化へ向けた措置の中心に据え、2045年までにカーボンニュートラルを達成するための一手段として重視している。
NWSは、エネルギー転換政策の一環として水素を再生可能エネルギーによる電力の貯蔵や、交通機関の燃料として活用し、産業界のエネルギー源にすることを中核目標に置く。特に化学コンビナートや製鉄所で使われている化石燃料を、水素によって代替することは、製造業界からの二酸化炭素(CO2)を減らす上で極めて重要だ。
https://www.bmwk.de/Redaktion/DE/Publikationen/Energie/die-nationale-wasserstoffstrategie.html
ドイツ政府は、NWSの中で提案された施策の実施状況について、毎年報告書を公表している。今回はその一部をご紹介することによって、ドイツ政府が水素の実用化に力を入れている現状をお伝えする。
ドイツ政府は、2026年までに水素実用化のための研究・開発に合計123億6000万ユーロ(1兆7304億円・1ユーロ=140円換算)を投じる。
さらにNWS公表直前に決定したコロナ対策(景気浮揚策)の一部として、水素普及のための予算90億ユーロ(1兆2600億円)を上乗せし、計213億ユーロ(2兆9820億円)を投入して水素の利活用を推進していく方針だ。
ドイツ政府は、再生可能エネルギーからの電力で水を電気分解することによって作られる、いわゆるグリーン水素を最も重視している。生成過程で二酸化炭素(CO2)がほとんど排出されないからだ。NWSは、「2030年にドイツの産業界が必要とする水素の量は、900億~1100億キロワット時(kWh)」と推定している。
この一部を国内で生産する水素でカバーするために、2030年までに最高500万kWのグリーン水素生産容量と、追加的な陸上・洋上風力発電設備容量(発電量は200億kWh)を持つ必要がある。遅くとも2040年までには水素生産容量を1000万kWにする。
さらに連邦経済気候保護省(BMWK)は2022年1月11日に脱炭素を加速するための施策を発表した際に、2030年の水素生産容量目標を500万kWから1000万kWに倍増させることを明らかにした。
西アフリカ諸国との共同水素プロジェクト
ちなみにドイツ政府は、水素の大半を輸入する方針だ。NWSによると、2030年に国内で生産される水素の量の目標は140億kWhであり、2030年の水素需要量(900億~1100億kWh)の12.7%~15.6%に留まる。つまり政府は、水素需要の大半を外国からの輸入によってまかなう。ドイツ政府はNWSの中で、水素の実用化をEUレベルで推進することの重要性を強調しており、EUに水素の共通市場を構築するべきだとしている。ドイツは、EU域内ではオランダ、スペイン、フランスを有望な調達先と位置づけている。
さらにドイツ政府は、EU域外の水素輸出国として、ガーナ、ギニア、ニジェール、コートジボアールなど西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)に属する15ヶ国や、南アフリカ、ナミビア、モロッコ、オーストラリア、チリ、アラブ首長国連邦(UAE)などに期待している。連邦教育研究省(BMBF)は、ユーリヒ研究所とともにECOWASに属する国々のグリーン水素生産ポテンシャルについての調査プロジェクトを行っている。
BMBFは、「ECOWASに属する国々は、毎年最大165兆kWhの水素を生産するポテンシャルを持つ。これらの地域の水素の生産コストは1㎏あたり2.5ユーロで、2050年のドイツでの推定生産コスト(1㎏あたり3.8ユーロ)よりも大幅に低い」と主張している。BMBFによると、これらの国々での太陽光発電・陸上風力発電設備による発電コストは、ドイツよりも30%低い。
ドイツ政府はアフリカ諸国に、風力発電・太陽光発電設備に関する技術を輸出する。現地でこれらの設備を使って発電を行い、水を電気分解してグリーン水素を生成する。このようにして作られたグリーン水素をタンカーで、ドイツへ輸出する。これがドイツ政府の考えている図式だ。この方式を使えば、アフリカ諸国で発電に使われている化石燃料を再生可能エネルギー発電設備で代替できるので、現地でのCO2排出量も減らせるという利点がある。
水素輸入のための財団を創設
またBMWK のハーベック大臣は、2022年3月21日にアラブ首長国連邦(UAE)を訪問し、同国政府との間で4件のグリーン水素に関するプロジェクトについて合意した。合意されたプロジェクトは、次の4件である。
(1)日本の電力会社JERAの米国子会社、ドイツの大手電力・ガス会社Uniper、ドイツの水素関連企業Hydrogenious LOHCがAbu Dhabi National Oil Company (ADNOC) とともに、UAEからドイツへグリーン水素を輸送する方法について研究する実証プロジェクト。
(2)ドイツの大手電力会社RWE、Steag,ドイツの銅メーカーAurubisなどが、ADNOCとの間で実施するグリーン水素やアンモニアの供給契約。
(3) ADNOC とドイツの港湾会社Hamburger Hafen & Logistik AG (HHLA)が実施するアンモニアの輸送プロジェクト。
(4)ドイツのSiemens EnergyとLufthansa航空が、UAEの再生可能エネルギー関連企業Masdar とともに実施する新しい合成航空燃料の開発プロジェクト。
またドイツ政府は2021年5月に、ハンブルクにグリーン水素などの輸入のコーディネーションを担当する「H2Global」という財団を設立した。
この財団は専用の取引プラットフォームを使って、外国企業を対象にした入札を実施し、水素生産・供給プロジェクトや、電力を水素などに変換して蓄積したり、電力を使って新合成燃料を作ったりするプロジェクト(Power-to-X)を募集する。
さらにグリーン水素関連の研究プロジェクトに対する財政支援も行う。同財団は、ドイツ国内でも入札を行い、自国企業に水素などの長期契約を「販売」する。2024年には鉄鋼業界や化学業界にグリーン水素の供給を始める。
ドイツ政府は2021年11月に、水素取引の仲買人の役割を務めるHydrogen Intermediary Network Company GmbH (水素仲介ネットワーク有限会社=HINT、本社ライプチヒ)という企業を創設した。
売り手が提案したグリーン水素の価格と、買い手が希望した水素の価格の間に差が生じた場合には、HINT社がドイツ政府の資金を財源として、価格差を埋めて取引を成立させる。つまりHINT社は、Carbon Contract for Difference(CCfD)=気候炭素差額決済契約に似た役割を果たす。ドイツ政府はこの価格差補填のために、9億ユーロ(1260億円)の助成金を投じる。
この財団には2021年6月の時点でドイツの大手エネ企業Uniper, RWE, E.on、Siemens Energy、ドイツ銀行、鉄鋼メーカーのSalzgitter、Thyssenkrupp,工業ガス大手Linde、フランスのengie、Air Liquide、欧州エネルギー取引所(eex)など36社が出資者として参加しているが、ドイツ政府は約70社まで参加企業を増やす方針。
ドイツでは2020年6月から2021年8月31日までに、EUのIPCEI (欧州共通利益に適合する重要プロジェクト)の中の、水素に関する助成制度(水素IPCEI)に対し、民間企業などから230件の水素関連プロジェクトが提案された。その内62件が水素関連IPCEIプロジェクトに選ばれ、EUから助成を受けている。
これらのプロジェクトの投資額の総額は330億ユーロ(4兆6200億円)、EU助成金の総額は105億ユーロ(1兆4700億円)。これらの数字から、EUも水素の実用化を重視していることが浮かび上がって来る。
ドイツ政府によると、これらのプロジェクトが実現すれば、ドイツ国内に合計容量約200万kWの水電解設備が建設される他、全長1700キロメートルの水素輸送パイプラインが構築される予定だ。これらのプロジェクトは、化学業界と製鉄業界の脱炭素化を推進する。運輸業界については、燃料電池技術、水素自動車、水素から生成されるE燃料の開発、自動車への水素補給インフラの構築などが中心となる。
日独で進む水素関連の共同研究プロジェクト
ショルツ首相も水素の利活用を重視している。首相は2022年4月28日に日本を訪問した際にも、在日ドイツ商工会議所で行った講演で、「水素は将来天然ガスにとって代わるエネルギー源だ。日本とドイツが技術面で協力することが、両国の繁栄につながるだろう」と述べた。さらに首相は、4月29日に川崎市の東亜石油京浜製油所を訪れて、千代田化工建設が関わった水素関連技術のための実証プラントを視察し、同社が研究開発を進めている水素の貯蔵・輸送技術などについて説明を受けている。
日本は、水素実用化のための研究が世界で最も進んでいる国の一つだ。日独間の提携の動きも進んでいる。たとえばBMBFは、2021年9月に、日本の科学技術振興機構(JST)と共同で、水素技術分野における日独間の国際共同研究を助成することを発表している。「2+2Call」と命名されたこのプロジェクトでは、水素技術のための効率的で持続可能な材料と、グリーン水素による持続可能な海上輸送推進力についての研究が重点テーマに選ばれた。これまでに3件の研究プロジェクトが助成の対象として選ばれ、2022年から2023年にかけてスタートする予定だ。
https://www.dwih-tokyo.org/ja/2021/06/25/green-hydrogen/
また東京のドイツ大使館は2022年5月に、日本とドイツが共同で実施している水素研究プロジェクトを、DWIH東京のウエブサイト上で紹介している。
https://www.dwih-tokyo.org/de/2022/05/06/bericht-wasserstoffforschung-und-technologie-in-japan/
その内の1つは、ブラウンシュヴァイク工科大学が山梨大学と共同で、燃料電池に使用する次世代電極を研究・開発するプロジェクト(略称ECatPEMFCgate)。この国際共同燃料電池プログラムは、2027年まで5年間にわたり実施される。山梨大学からは、燃料電池ナノ材料研究センター金属研究部門の柿沼克良教授との犬飼潤治特任教授が参加している。
https://www.yamanashi.ac.jp/wp-content/uploads/2021/12/20211215pr.pdf
2つ目は、ボーフム・ルール大学と大阪大学が行っている、バイオテクノロジー(生命工学)を、新しい燃料電池の開発に生かすための共同基礎研究である。2018年には大阪大学がボーフム大学に国際共同ラボを設置し、大阪大学にボーフム大学の水素に関する研究拠点(H2-Lab)が設置される予定だ。
BMBFとJSTは、欧州インタレストグループ(EIG) CONCERT・JAPANという研究助成プログラムに参加している。同プログラムは、2021年5月31日に、水素関連の研究プロジェクトを助成する方針を発表した。「割安でクリーンなエネルギーとしての持続可能な水素テクノロジー」と命名された助成プログラムは、これまでに6件の水素関連プロジェクトを選定したが、その内3件に日独の研究者たちが参加している。(その内の1件は、前述のブラウンシュヴァイク工科大学と山梨大学の燃料電池研究プログラム)
またBMWKと日本の経済産業省は、「水素ワーキンググループ」を設置しており、これまで2021年10月と2022年4月に省庁間定期会合を開催して、意見交換と情報共有を続けている。
モノづくり大国・日本とドイツは、ともにカーボンニュートラルの達成へ向けて努力を続けている。日独が水素テクノロジーの研究開発に関して緊密に協力することは、両国の経済グリーン化に大きく貢献するに違いない。
熊谷徹氏プロフィール
1959年東京生まれ。1982年早稲田大学政経学部経済学科卒業後、NHKに入局。日本での数多くの取材経験や海外赴任を経てNHK退職後、1990年からドイツ・ミュンヘンに在住し、ジャーナリストとして活躍。ドイツや日独関係に関する著書をこれまでに20冊以上出版するだけでなく、数多くのメディアにも寄稿してドイツ現地の様子や声を届けている。
DWIH東京シリーズ「在独ジャーナリスト 熊⾕徹⽒から見たドイツの研究開発」の全記事はこちら
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公開日: 2022年11月28日