水素エネルギー実用化に乗り出す日独の電力業界

© DWIH Tokyo/iStock.com/Petmal

2021年2月25日

【文:熊谷 徹】

本シリーズの第1回でお伝えしたように、ドイツ連邦政府は2020年6月に国家水素エネルギー戦略を発表し、二酸化炭素(CO2)削減のための柱の1つとする方針を明らかにした。現在ドイツや日本では、研究機関や電力会社が水素エネルギーの実用化へ向けたプロジェクトを推進している。

水素による化石燃料の代替が狙い

連邦教育研究省のアニヤ・カルリチェク大臣や連邦経済エネルギー省のペーター・アルトマイヤー大臣らが発表した戦略によると、今後政府は水素エネルギーの研究・開発に合計90億ユーロ(1兆80億円・1ユーロ=120円換算)の予算を投入する。特に再生可能エネルギーからの電力だけを使い、水を電気分解して製造する「グリーン水素」を重視し、製鉄所や化学プラントなどのエネルギー源として普及させる。またグリーン水素を使った新しい合成燃料(E燃料)を普及させて、バス、トラック、船舶、航空機など重量が重い交通機関に使われているディーゼル燃料を代替する。

ニーダーザクセン州に水素クラスター設置へ

ドイツの電力会社や製造企業は、水素エネルギーの実用化のための実証実験を積極的に進めている。たとえば最大手の電力会社RWEは、ニーダーザクセン州リンゲン(エムスラント地方)で水素実用化プロジェクト(GET H2)に参加している。リンゲンは北海の海岸に近いので、洋上風力発電基地で作られたエコ電力を容易に調達できる。
このプロジェクトの目的は、ドイツ初の「水素工業地帯」を建設することだ。リンゲンの周辺地域に、グリーン水素の製造、蓄積、輸送のためのインフラとバリューチェーンを構築し、エネルギー、製造業、暖房、交通の各部門を連携させる。
参加企業は105メガワット(MW)の製造能力を持つ電気分解施設を2基建設する。そしてグリーン水素を既存の地下ガスタンクに貯蔵したり、交通機関用の合成燃料を製造したりする。2022年からは、全長130キロメートルのガスパイプラインを使ってノルトライン・ヴェストファーレン州の工業地帯に輸送する実験も行う。
つまりドイツで初めて、大規模な水素クラスターを構築する試みだ。このプロジェクトには、多数の民間企業や研究機関が参加している。次のリストは、その内の一部だ。

• RWEジェネレーション(電力会社)
• シーメンス(電子・電機メーカー)
• エネルトラーク(Enertrag)=ブランデンブルグ州の風力発電事業者
• ハイドロジニアス・テクノロジー(Hydrogenious Technologies) ドイツの水素技術に関するスタートアップ企業
• ノヴェーガ(NOWEGA)=ドイツのガス輸送企業
• リンゲンの公営地域エネルギー企業(シュタットヴェルケ)
• ユーリヒ研究所
• IKEM(気候保護・エネルギー・モビリティー研究所)
• ブリティッシュ・ペトロリアム(BP)=石油会社
• エボニク(EVONIK Industries )= ドイツ第2位の化学メーカー。
• ノヴェーガ(NOWEGA)=ドイツのガス輸送企業
• OGE(Open Grid Europe)= ドイツの長距離ガス輸送企業(旧エーオン・ガス)

このリストから、いかに多くの企業が水素ビジネスに強い関心を持っているかを感じて頂けると思う。
またRWEは、2020年6月にドイツ製鉄大手ティッセン・クルップとグリーン水素の供給による、製鉄事業の非炭素化プロジェクトについて合意した。これまで製鉄所や化学プラントで使われていた水素は、化石燃料から作られていた。これを再生可能エネルギー由来に切り替えて、CO2排出量を減らす。
合意によると、RWEはリンゲンで製造したグリーン水素を、パイプラインでデュースブルクのティッセン・クルップの製鉄所に供給する。供給されるグリーン水素の量は、製鉄所の高炉の操業を可能にするために十分な量で、毎年5万台の自動車の生産に必要な「非炭素化された鉄」を作ることを可能にする。一方ティッセン・クルップは、自社のグリーン水素製造能力も増やす。イタリアの化学企業デ・ノーラ社(De Nora)との合弁事業により、電気分解施設を拡充して、グリーン水素の製造能力を1ギガワットに増やす方針だ。電力会社だけでなく、メーカーも水素ビジネスへの参入を目指している点は、興味深い。

鍵は水素製造コストの低減

ドイツの大手電力ユニパーは、水素ビジネスを基幹事業の1つに加えている。ユニパーは2013年以来、水素に関する実証実験を続けている。この企業は、水素エネルギーに関する研究をドイツで最も積極的に行っている会社の1つだ。同社はこれまで石炭火力発電を主眼としてきたが、ドイツ政府の決定により2038年までに石炭火力発電所を廃止しなくてはならない。このため化石燃料に替わる新しいビジネスを模索しているのだ。
ユニパーはすでにガスを蓄積する地下貯蔵庫を多数持っている。このため必要となれば現在のインフラを改造して、水素の貯蔵施設を稼働させることができる。ユニパーは、これまでの実験で得られたデータから、「水素テクノロジーは、市場で実用化できるほどの技術的な成熟度を持つ」と判断している。
同社で水素エネルギーを担当するアグネス・ヘルディク部長は、「石油や天然ガスの精製施設を水素による合成燃料の製造施設に切り替えれば、大量のCO2を節約できる。このため、将来ユニパーは精製施設を運営する企業のために、15MWの電気分解施設を建設し、水素からの合成燃料を製造するように勧めていきたい」と語る。
民間企業にとって、水素エネルギーの実用化が成功するかどうかの鍵は、製造コストの低減である。ヘルディク部長は、「現在のところ、水素は製造コストが割高だ。ユーザーのインフラ改修にも多額のコストがかかるために、多くの分野で導入が難しくなっている」と語った。
ユニパーは、再生可能エネルギーに対して政府が行ったような補助が、水素についても必要だと主張する。同社は「今後政府が法的な枠組みを整備し、水素の経済性を高める努力を行うならば、ユニパーは、グリーン水素を製造業界が使用できる規模で提供する準備がある。その際には、規模の経済を生かし、コストが徐々に減ることが前提だ」と説明している。

水素社会の実現を目指す日本

実は水素エネルギーの実用化プロジェクトについては、日本の方がドイツよりも進んでいる。日本政府はドイツやEUよりも3年早い2017年12月に「水素基本戦略」を公表し、2050年までに水素テクノロジーのリーダー国になるという方針を掲げた。
日本は化石燃料の輸入依存度が高いので、水素の実用化によってエネルギーの自給率を高めるとともに、CO2の排出量を大幅に減らすことが目的だ。
経済産業省も、水素の製造コストを下げることを重視している。同省の「水素基本戦略」は、「2030年頃に商用規模のサプライチェーンを構築し、年間30万トン程度の水素を調達する。30円/Nm3(ノルマル立方メートル=ガスなどの体積を示す単位)程度の水素コストの実現を目指す。将来的には、20円/Nm3程度までコストを低減。環境価値も 含め、既存のエネルギーコストと同等の競争力実現を図る」という目標を明記している。
また経済産業省は、水素を電力の蓄積に使うことも考えている。電力需要が少ない時には風力や太陽光による電力が余る可能性がある。
「水素基本戦略」は、「再生可能エネルギー利用の拡大には、調整電源の確保とともに、余剰電力の 貯蔵技術が必要。蓄電池では対応の難しい長周期の変動には、再生可能エネルギーを水素に換えエネルギーを貯蔵する「パワー・トゥー・ガス(P2G)技術」が有望。鍵はコスト低減。P2Gの中核である水電解システム について世界最高水準のコスト競争力を実現すべく、2020年までに1キロワットあたり5万円を見通す技術を確立。2032年頃には商用化を、更に、将来的に再エネの導入状況 に合わせて輸入水素並のコストを目指す」という野心的な行程表を掲げている。

日本の科学界と民間企業は、すでに実証実験を行っている。国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)、東芝エネルギーシステムズ、東北電力、岩谷産業は、福島県浪江町に水素製造施設「福島水素エネルギー研究フィールド(Fukushima Hydrogen Energy Research Field (FH2R))」を2020年2月末に完成させ、稼働を開始した。
FH2Rは、18万平方メートルの敷地内に設置した20MWの太陽光発電の電力を使って、世界最大級の10MWの水素製造装置で水の電気分解を行い、毎時1200Nm3の水素を製造し、貯蔵・供給している。ここで製造された水素は、燃料電池向けの発電用途、燃料電池車や燃料電池バス向けのモビリティ用途などに使われる予定だ。
ドイツと日本はCO2削減という共通の重要課題を持つ。両国の研究機関や民間企業の間では、今後水素エネルギーをめぐる共同研究が盛んに行われるに違いない。

DWIH東京シリーズ「在独ジャーナリスト 熊⾕徹⽒から見たドイツの研究開発」の全記事はこちら

熊谷徹氏プロフィール

1959年東京生まれ。1982年早稲田大学政経学部経済学科卒業後、NHKに入局。日本での数多くの取材経験や海外赴任を経てNHK退職後、1990年からドイツ・ミュンヘンに在住し、ジャーナリストとして活躍。ドイツや日独関係に関する著書をこれまでに20冊以上出版するだけでなく、数多くのメディアにも寄稿してドイツ現地の様子や声を届けている。